ネット上によくある画像の無断使用について(はじめに)

仕事が少し落ち着いた(落ち着いてしまった)ので、脳内やるべき事リストの隅っこにあった、僕の写真の無断使用について、ひとつずつ解決しようと動き出しました。

仕事はやりたくないことからやれ、とビジネス本に書いていますが、ハッキリ言ってこれも仕事と言うならすんごくやりたくない仕事です。確定申告よりずっとずっとやりたくないし、関わらずに済むならやりたくない。

何故って、誰も得しないからです。僕の仕事は撮影やその後の編集などが主であって、著作権侵害に対して交渉することが仕事ではないのです。画像を無断使用している側も、法律的には加害者ですが当然いい気持ちはしないでしょう。僕もいい気持ちはしないです。

じゃあ、なんで僕はこの作業をやらねばと思うのかと言えば、少し考えて、理由は3つほど思いつきました。まずは違法状態を野放しにしておきたくはないという、当たり前の動機がひとつあります。知ってて何もしないのは悪に加担するのと同じ、とまで断言できずとも、何もしないままでいてモヤモヤする気持ちは拭えません。

次に、僕の普段の仕事では、クライアントは僕に報酬を払って写真を使ってくれているわけです。それに対して、対価を支払わずに写真を使い続けるって、公平性の観点からもおかしくないか、という感覚です。報酬無しではカメラマンに限らず、イラストレーター、デザイナー諸々のクリエイターは生きていけず、制作、仕事が続けられない、というのはもはや言うまでもないわけです。ただ、この2つめの理由は弱点もあって、じゃあ、普段報酬が発生しないアマチュアの作品は無料で使っていいのかと言えば、当然そうではないのです。この問題はどちらかと言えば損害賠償の算定額の話になるのでまた近いうちに書きます。

最後に、Twitterを見ても無断使用画像、YouTubeには違法アップロード動画、楽曲。またそれを簡単にシェアできてしまう、こうした違法状態が蔓延している社会状況を何かしたいとも考えているわけです。クリエイターの機会損失についての社会的な総額、調べてないですが相当なものだと思います。当たり前ですが、人は生まれてくる時代を選べません。今の社会状況は、歴史によってそうなってきました。であればそれを少しでも良くしたい、そう思うのに社会参加、社会契約している人間にとってごく自然のことだと思います。この場合で言えば創作物(著作物)が軽視されている社会状況。具体的にはひとりひとりの意識だし、権力ある行政等からの発信力の弱さだったり、司法制度であったり、またインターネットの仕組みだったり、様々な要因が重なってこの状況なのです。それをどの面からアプローチすべきかは今後の考慮すべきところですが、まずはとにかく声をあげたい、そう思うから今まさにこれを書いているわけです。

長くなりました。著作権侵害について、何度かに分けて、また実体験を踏まえながら書きます。

2020-08-14 | カテゴリー 考えごと | タグ

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