インターネットに自由がないことを一人で勝手に今さら痛感したよ
報道の通り、佐野氏デザインのオリンピックのエンブレムが取り下げられました。僕のこの問題に関しての感想は前に汚めの言葉で書いた通りですので、原稿用紙12枚分ほどですが、お時間よろしければご一読ください。ここから、少しずつこの件に関する報道も減っていって、それに付随するように社会の声も小さくなっていくのかと思います。僕としてはこの件がいろんな人にとってデザインについて考えるよい機会になりえたと思っているので、取り下げざるをえなかったことを知った時はすごく残念でした。また、面識もない佐野氏の悔しさはいかほどのものか、察するに余ります。
この期に及んでまだ「説明すべきだ」なんて日本人らしいコメントを出す方も見られるようですが、騒動の後にお決まりのようにこの文句をたれてないで、何を説明すべきか説明すべきではないですかと思うのです。佐野氏の説明、足りていないでしょうか。僕は騒動の当初からしっかり対応してきたと思います。説明すべきだという人はちゃんと自分で調べたのでしょうか。原文にあたったのでしょうか。それともなんですか、デザインとはどういったものかをそもそも理解していない「一般国民」の方々にはデザインの基礎から佐野氏が責任もって教えるべきなのでしょうか。いじめにも等しい扱いを受けさせ、その上でさらに前に出てきて説明せよ、というのはいじめている側にさらにいじめの材料を与えるだけで何の解決にもなりません。悪いのは間違いなく自分の罪を過小評価し、無邪気に悪意あるコメントを残した匿名の人々です。
自ら情報にあたることもなく、そのくせに自分の考え(考えとも呼べるレベルではありませんが)には固執し疑うこともなく、それゆえ調べもしない、知性の欠片も持ち合わせていないコメントがインターネット上で最も頻繁に見られたことは非常に残念です。いや、インターネットとはそういうものだったのだ、と再確認させられました(マスコミもそれを再編集しただけかのような記事を書くのも問題です)。とはいえ、このツールに絶望するでもなく、うまく付き合っていけることがリテラシーなのでしょう。インターネットは議論する環境にはなれないのでしょうか。自由に伴うと言われている責任はここにはなく、ただただ匿名の無法地帯があるばかりのように見えました。この問題についてはまだ書き足りない部分もあるのですが、佐野氏が取り下げたことで確実に昨日までよりは下火になっていく話題ですから、このへんにしておきましょう。
最後に、不幸中の幸いのニュースをひとつ。ベルギーの例のデザイナーが訴訟を取り下げることはしない予定のようです。佐野氏も大変な時ではあるでしょうが、一念発起して裁判に臨み、世間にデザインの正当性を示してほしいところです。
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