現代フォトグラファーのプロフィール写真如何
履歴書に貼るのでなくて、メディアや最近ではFacebookやTwitterなんかに載せるプロフィール写真。プロフィール写真は大事ですよね。現代のネット社会では第一印象がそうしたプロフィール写真であることも少なくありません。実際に会ってみたら、あれ、実物のほうが老けてね?とか、あれ、こんな若々しかったのかとかプロフィール写真とのギャップを感じたことは誰しもあるはずです。では、写真に精通しているはずのフォトグラファー、カメラマン、写真家たちはどんなプロフィール写真を撮るべきか。そこまで大それてはいませんが、今回はそういう話です。
少ない経験ながら、写真の世界を見聞きして、フォトグラファーが撮っているプロフィール写真の少なからず思い当たるのが鏡に向かってカメラを構え、シャッターを切っている写真です。これはもう誰もが思い当たるような、雑誌を開けば誰かしらこのシチュエーションで撮っているような構図です。このタイプのプロフィール写真のメリットは
- 自分で自分を確認しながら撮影できるので、自分がかっこよく見える(と思っている)角度が簡単に撮れる
- さりげなく自分の愛機をアピールできる
- カメラを構えながら撮っているので自分の気にくわない顔のパーツを隠して撮れる
- 鏡の世界とはいわばこの世界の鏡像であり、その現象学的云々と哲学的な雰囲気を醸し出せる
ということが挙げられます。そして、これを徹底的に叩きます、むしろこれしか叩かないのが今日の目的です。
こんな馬鹿げたシチュエーションで撮って許されるのは巨匠か、学生くらいのものです。巨匠がなぜOKかというと、特に2のメリットに関して、巨匠が使っている機材は他のフォトグラファーが気になるところのものでもあるからです。なるほど、巨匠はこんな機材を使っているのか、とか、最近の巨匠はこれがお気に入りなんだな、と気にします。さりげなくメーカーのアピールにも繋がります。またこれまで写真について深く考察しぬいて来た巨匠だからこそ、4のメリットにも深みが出ます。自分の顔が隠れることについても巨匠は既に色んなメディアでもう顔が知れているので特に問題ないでしょう。次に学生がなぜOKかというと若いからです。
昔の職場の同僚が雑誌に載ったときの話です。彼はせっかくだからとプロフィール写真を撮り直していたのですが、その写真は手を後ろに組んで普通に立っている、ごく自然な公園で撮った写真でした。掲載された雑誌の話をしているとき、彼は「カメラを鏡に向けて自撮りするのってかっこ悪いよね、みんなやってるし」と言いました。そう、みんなやってるのです。みんな鏡に向かってシャッターを切っているのです。本当のことを言えば、僕もそうやってセルフポートレートを撮ったことがあります。でも、アホっぽい写真になったのでプロフィール写真に使うまでは至りませんでした。みんなやってるから。世の中、なんでもみんながやってることが倣うことが間違いではありません。しかし、オリジナリティで勝負するフォトグラファーがみんなと同じことを、こと自分自身のアピールたるプロフィール写真で他人の真似してどうすんですか、と僕は言いたいのです。
初めてやった人は評価されるべきでしょう。ただし、手法が一般化してしまうとその語るべき魅力はなくなるどころか、却って陳腐なものになってしまいがちです。鏡で自分自身を撮るというこの手法について言えば
- 自分自身が一番いい角度で撮ってるんだなと想像がつくので実際に会ったらこれ以下なんだなと想像しやすい。ナルシスト。
- 別に誰もあなたの愛機なんて興味ないし。移り変わりの激しいデジカメだったら愛機なんて言えるほど本当に使い込むつもりなのかしら。
- 1と同じ。顔の一部をカメラで隠すということは結局は自分に自信がないことの裏返し。
- 鏡を使うことについて、そこまで考えてなさそう。仮に考えた結果だとしてもみんなやってるので考えてないと思われても仕方ない。
というデメリットがあります。これではバリバリ補正のプリクラ写真や、携帯自撮り写メを否定できません。なぜだかわからぬが横顔のプロフィール写真しかない建築家やデザイナー(女性に多い)と写真の奥底にあるものは同じなのです。たかだかプロフィール写真と言えども、冒頭に述べましたように現代はTwitter、FacebookなどのSNSを中心に、プロフィール画像が重要なものとなっています。これを機に、自分自身が他人にどういう第一印象をプロフィール写真で与え、また、どんな印象をもってもらいたいか考え直して欲しいものです。
先ず隗より始めよという教科書に載っていた言葉を思い出しました。そういうお前からやれよ、という意味だったと覚えていますので僕もやってみました。
さんざん叩いたので鏡を撮るタイプで新しいことはできないかと考えたものです。これだとどのカメラで撮っているか、わからないでしょう。おまけにしっかり顔も出すことを条件としました。僕は撮影に応じてカメラを使い分けるので愛機がどれか一つということが決まりませんでした、というストーリーも用意しています。髪は昨日切りました。ただ、これだと愛機のひとつ、PENTAX67が他のカメラに隠れてしまったので成功したとは言えません。少なくともPENTAX67で撮った写真ではないことが丸わかりです。この写真は仕方なくお風呂場で撮ったのですが、何せ狭いので身体の自由もほとんど効きませんでした。その結果、ちょっとピンぼけです。
反省して第二弾。Nikonのカメラだけで構成してみました。後ろにPENTAX67も若干見えるのですが、例によって他のカメラと被ってしまいました。第二弾は空間を十分に確保するために戸を開けて撮ったので後ろに電子レンジも映りこんでいます。どのカメラで撮ったかは相変わらず不明です。愛機アピールにならぬよう、Nikonのロゴもなるべく映っていないのを選びました。Nikonロゴが映っていたところで、Nikonからお金が入るわけでもありません。D90のシャッターに指がかかっているのでD90で撮った写真かと思いきや、右手にはリモートレリーズを持っています。そもそもセルフタイマーを使っている可能性もあります。愛機が不詳のプロフィール写真ができました。僕自身がファインダーを覗いていないので自分のよく見える角度は計算できませんし(メガネもずり落ちてますね)、この困り顔では鏡という哲学的要素を想起させるスキもありません。我ながら、間抜けなプロフィール写真が撮れたものだと自負しております。早速このサイトの「about」ページの写真も変更しようと思います。ちなみに、前のは友人に撮ってもらった写真でした。自分の中でポージングにバリエーションがなかったため、最終的にグリコみたいなポーズで映っています。
蛇足ですが、いざ写真を選ぼう、というときにLightroomなんかのソフトでサムネイル一覧を見て自分の顔がずらーっと並んでいると変な気持ちになりますね。
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