2019年12月3日(火)

表現におけるわかりづらさはずっと離れないテーマだ。例えば広告など、多くの人を対象にしたものは全員、あるいは殆どの人が理解できる内容である必要があるだろう。例えば専門書はその逆で、その分野の専門知識があることを前提にして描かれている。

芸術はその点では振れ幅は大きい。商業も絡んでくるが、ゴダールの映画なんて特に近年はファン向けの要素がある(ように思える)。元々言葉では語りきれないからこそ何かしらの媒体を使っての表現になるのだ。

だからこそ、作者は何を伝えたいのでしょう、という義務教育の設問はくだろない。最近だと問題になったトリエンナーレの芸術監督が問題の作品について「この作品の某はこういうことを表現していて、また、この意味はこうで、これはアレを表現しています云々」とインタビューで語っていて、なんか中学生が授業で美術作品を見せられた後の感想文みたいに思えた。燃えるべくして炎上したんだなと納得した。

2019-12-03 | カテゴリー 写真日記 | タグ

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