2019年11月21日(木)

昨日の話に少し関連するけども、デジタルカメラでも「撮って出し、無加工です」と自慢げに書いているものもある。撮影技術を披露したいのだろうか、全く全く無意味なことだ。

撮って出しとはカメラ内の画像処理エンジンを通してカメラが作った色に過ぎない。それがベストで他にはない、と言えるのであればともかく、ともすればカメラが作った絵でいいと妥協していることになる。また、自分には適切に画像処理をする技術がないと宣言しているようなものでもある。

写真とは表現の手段であるのだから、適切にレタッチすることを否定することも、無加工に神聖性を求めてはいけない。jpgの時点でカメラ内で加工済みである。いや、rawですらカメラごとに結果は異なるのだ。

ところで、プロの現場では撮って出しにせざるを得ないケースがままある。スピードの求められる現場、膨大なカット数の現場などである。それは前述した通り高いクオリティの一枚を仕上げることに比べれば妥協にはなるが、しかし限られた環境の中でよりよい仕事をする努力は、僕の見てきた限りどのカメラマンも多かれ少なかれ行っている。わかりやすいところだとピクチャーコントロール(Nikonの場合の名称)のカスタマイズなどがある。撮って出しといいつつなんだが、一度PCに取り込んで現像ソフトでプリセットを一括で当てる方法もある。これなら手間はほとんどかからない。

2019-11-21 | カテゴリー 写真日記 | タグ

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