あいちトリエンナーレ2019楽しかったです

ウーゴ・ロンディノーネ あいちトリエンナーレ

8月前半は東京にいないことがほとんどで、名古屋にも数日滞在しました。仕事の最終日とその翌日、あいちトリエンナーレを観てきました。ちょうど表現の不自由展という展示が撤去された直後で話題になっていました。今になってニュースからは少し落ちました感はありますね。10月までやってるので機会ある人は行ってみると良いかと思います。観られなくなってしまった展示については残念ですが、そのほかの展示も面白かったですよ。

アイシェ・エルクメン

仕事の最終日は夕方〜夜だったため、美術館ではなく名古屋市内の円頓寺商店街周辺を練り歩きました。トリエンナーレというと越後などが有名ですが、都市の中でもアートと生活が密着できるのだという実感はとても心地よいものでした。円頓寺周辺の町並みの良さもあったのでしょう。歴史ある街はその存在だけでアート作品が読み解きたがる文脈を兼ね備えているため、非常に親和性が高いです。

翌朝一番で名古屋市美術館と愛知県美術館を周りました。帰りの新幹線が遅くなりすぎないようにだけ、若干足早に。東京とほぼ変わらぬじとじとする真夏でした。大荷物もってあまり長時間屋外を歩きたくもなかったのを覚えています(幸い、両美術館ともクロークで預かってもらえました)。

ワリード・ベシュティ Fedex

備忘録のために。ワリード・ベシュティの「FedEx」。コンセプトが非常に好みな作品。

備忘録2。ミリアム・カーンの絵画。僕は平面は自分の好みがはっきりしない傾向があるのですが、彼女の絵画は全て好みでした。一目惚れです。

表現の不自由展について

あいちトリエンナーレの目玉となってしまった『表現の不自由展・その後』。僕が行った際はすでに作品はなかったので、正確に論ずることもできません。しかし、ネット上に飛び交う様々な意見を目にし、また、自分で調べた結果、そもそも展示すべき内容じゃなかったのではないかというのが現在の僕の意見です。

問題になった『平和の少女像』の作者についても様々調べてみましたが、どうも芸術分野というよりは政治活動的な面でご著名なように見えます。純粋に作品としてこの彫刻が芸術性に優れているのか観た場合、個人的にはちょっと?です。まあ、政治的メッセージが強い芸術作品はあまり好みではない、というかちょっとメディアが違うんじゃないかな、というのがそもそもの僕の考えでもあるのですけども(ピカソのゲルニカを引き合いに出している意見がありましたが、一緒にするレベルではないです)。。。

表現の不自由展について、さらに気に入らないのが政治的な作品ばかりだったらしいこと。本当に表現の自由についてキュレートしたいのであれば政治色のあるものだけではなく、エロ・グロ・ナンセンス(ナンセンスはあまり規制されないか…)、諸々を共存させた展示が必要だったのではないかと思うわけです。

つまり、作品としてのレベル、また、展示内容の選択、この2点においてキュレーションに責任があると思っています。こんな事言うと殺されるリストに入ってしまいますかね。

名古屋市について

名古屋風景

数日間滞在し、散策した名古屋。今まで何度か名古屋市を訪れたことはありましたが、よくて1泊の短期間の滞在でした。名古屋の市街地は前述した円頓寺周辺の情緒ある町並みもいいのですが、市内中心部も好みでした。例えば東京都心だと一軒家が建て壊されたらそこは分割されて建売になるか、狭小のビルが立つか。名古屋はそれがない。同じ都会でもスクラップアンドビルドのペースが少々違うのでしょうね。市内中心部を歩いていて、ふと突然現れる空隙とか、すごく気に入って、できれば一ヶ月くらい滞在して写真撮影に集中したい気持ちでした。暑くない時期に。ちなみにこの感覚は4年住んだ仙台にもないものでした。名古屋独特ですかね。

2019-09-04 | カテゴリー 日記 | タグ

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