アウトフォーカス
写真を撮るにあたってピントを合わせるとは何か?どういった意味を持つのか。
広告写真においては被写体にピントが来ていることは基本的なことです。それが直接的に見せるべきものであることなので、当然です。そしてまた当たり前の事ですが、それ以外に関してはぼかしてしまったほうがより被写体が効果的に見える事もあります。人の視線は当たり前にピントが合っているものに向かいます。
上記はピントを合わせることが見せたいものを見せるということに関連しているという考えですが、もう一つ、ピントは撮影者の目線である、という考えもまたあると思うのです。
ほとんど同意された事はないのですが、大口径レンズの開放近くの描写は恋愛に似ているというのが僕の意見です。開放付近ゆえの描写の甘さ、柔らかなボケ、場合によっては片目に合ったピントがもう片目には合わないほどの薄い被写界深度。これぞ、甘い恋愛の視点。しかし、それが写真のような静止画でない場合、本当に常にピントはそこに合っている必要はあるのか。ある時間の中でとらえた場合、日常においてずっとその場で話している相手にピントが合っていることはまずないでしょう。むしろその状況は面接時のような不自然さがあります。その中で相手に自分の視界のピントがあっているときだけをイメージして写真に残す、ということも勿論一つの撮り方です。それと同時にそうじゃないときの写真があってもいいと考えるのです。例えばほんの少しだけ視線が逸れた瞬間。ちょっとだけ後ろにある風景が気になった瞬間。その僅かな意識のズレをとらえるのもまた瞬間である以上、写真的と思うのです。あ、ロバート・キャパの名著「ちょっとピンぼけ」もまたこれに当てはまるのかもしれませんね。
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