2020年9月2日(水)

相変わらず、作品のレタッチの方向性に悩む。レタッチは表現だから、本来であれば最終形のイメージが撮影時に頭の中にあって、それになぞるようにできればよい。せめて、撮影後、レタッチ前にどのようにフィニッシュするか、頭の中にあるのが良しとされている。

一般論としてはそうだろう。ただし、芸術の手法に偶然性が取り入れられることに違和感のない現在、レタッチにも偶然、こうなりました、があってもそれを全否定はできない。それの作品としての強度や手法としてのロジカルな部分は別として。

時間がたってから連作の統一感を持たせるために別のテイストで再レタッチを行うこともある。自由ゆえに、難しい。現像ソフトでは仮想コピーなどで様々な方向性を試せるが、それらを用いたとしても、レタッチ結果はレタッチしなかった可能性の否定でもあるのだから。

2020-09-02 | カテゴリー 写真日記 | タグ

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