ゴゴダダーールルのの33DD映映画画処処女女作作をを見見ててききままししたた

_DSC9249

このブログではあまり触れてませんが、かつて僕はシネフィル(cinefil=映画バカ)というくらいに映画を観ていた時期がありました。その言葉通り、主にフランス映画から古典映画がその鑑賞対象でした。そしてフランス映画と古典映画といえば、60年代ヌーヴェルヴァーグ、さらに限定するならば特に生ける巨匠、ジャン=リュック・ゴダール。前回の4Kについての考察でゴダールの言葉に触れ、ふと思い出して検索してみたところ、今まさに新作映画がやっていることを知ったのです。しかも、今週木曜まで。最近はめっきり行くことがなくなっていましたが、映画からそこまで遠ざかっていたとは、と自らを戒める意味も込めて、早速映画館に足を運びました。フランスの新聞ルモンド紙が「ゴダールの遺言」とまで評したその新作映画のそのタイトルは「さらば、愛の言葉よ」。なんと、ゴダール初の3D映画です!入り口で3Dメガネを受け取って、空席の多い平日夜の客席へ。3Dメガネを通せば写真も立体になるかと思ったのですが、さすがに無理でした。しかし、結像はちゃんとするのですね。

_DSC9256

ゴダールの映画は難解だとよく言われますが、そんなことはないと僕は思います。好きなように楽しめば良いのです。映像を単に楽しむもよし、引用元を探る文学的な楽しみもよし。単純にストーリーを追うことに意味がないことだけがハリウッドなんかの映画とは違うところです。哲学史を踏まえずに現代哲学を読んで理解できないのと同じです。ある程度、ゴダールの映画とはどういうものかを前もって分かった上で見れば楽しめます。しかも、哲学史ほどの深い前提は必要ありません。手っ取り早い方法としては60年代からのわかりやすいゴダール映画を数本観ておくことが個人的にはオススメです。

僕は映画館でゴダールを観るときは映画が始まるまえに前もってパンフレットを買い、15分くらい熟読した上で映画に臨みます。ストーリーや登場人物、背景を予習しておくのです。ゴダール映画はネタバレがどうの、というレベルの話ではありませんし、エンターテイメント映画にありがちな登場人物紹介のような冒頭のシーンは一切ありません。それゆえ、わかりにくいという感想になるのかもしれません。役者はそれまでもその登場人物の人生を生きてきたかのように、すっと映画に登場します。ゴダール曰く、人生は映画ですから。

今回の映画、「さらば、愛の言葉よ」はCanonの5DMark2などで3Dを撮っているのとのことでした。前作もそうだったとの記憶です。ゴダールが3D映画と聞いて、驚く反面、まあ、ゴダールならありか、と思う説得力もあり、不思議な気持ちで映画を観たのですが、これはもう大変よい映画でした。2Dで上映していた映画館もあるようですが、ぜひ3Dで観るべき映画です。そして、3Dという特性上、家庭では今やほとんど再現できる環境もないので、映画館で観られてよかった、と思っています。そもそもこの映画の3DのDVD、もしくはBlu-rayが発売される保証もありません。世間の3D映画は3Dをいかに立体的に見せようかとばかり考えているように見えます。しかし、ゴダールの映画はそうではない。こちらが酔うような乱暴な映像から、見入ってしまうような光の美しい3D映像まで、3D映画は一体どんなことができるか、その可能性を突き詰めたような映画です。それゆえ、逆説的に世間の3D映画は表面上の所作に留まり、3Dである必要性はなくなり、反対にゴダールのこの映画は3Dであるべきなのです。

ここで、なぜゴダールが3Dをやろうとしたか、ちょっと考えてみます。インタビューなどではあまりその理由ははっきりとしないようですが、これまでゴダールが「愛の世紀」「ソシアリズム」で行ってきたデジタルへの試みを考えれば自然な流れにも思えます。「愛の世紀」でモノクロ、カラーを時間的な配置をしたのに対し、この「さらば、愛の言葉よ」では空間的な配置を3Dで行っているとも汲めます。3Dはその原理的に2つの像を視覚的に1つに結像させて立体を感じさせる技術です。この結像する前の2つの像というのはゴダールの語るイメージと結びつくのです。元夫と人妻、そして独身の男という登場人物の向かい合うイメージ、何度も映画の中で語られている人間と動物の対比。さらには人妻役を二人で一役で演じるという配役上の設定さえ2つの分離したイメージとして3Dの像と重なります。さらに2つの分離したイメージは2項対立上ではその倍、4つの像になります。映画の中で2度ほど出てきた人物のオーバーレイの演出。3Dとしてはなんとも見辛い映像でしたが、その混乱の中にイメージの結像の結果たる3D上においてでさえなお分離しているイメージの印象は強烈です。それを2Dに還元するかのように、後半のシーンでは鏡に映った2人が自分たちは4人だと語り合います。まるで世界のあらゆる2項対立の図式がその奥にあるものに気づいていないことを指摘しているかのように。

…というようになんとなくでも思いつきで3Dについての考察をすらすらと書けるくらい、ゴダールの映画は様々な思考をもたらしてくれます。さらに、その映像的な手法も刺激的なわけです。約70分、飽きることなく見入ってしまいました。ゴダールのことですから、今後映画から香りが出るようになったらすぐにでも取り入れそうです。きっとハリウッドが心地よいアロマチックな香りばかり入れてくるのに対して、ゴダールは街中の映像の中に海の香りを入れたり、犬の香りを映画に入れてきたりするのでしょう。僕も全く興味がなかった3D写真を撮りたくなりました!願わくばこの映画が家庭用でも3D版を発売してほしいところです。そして唯一残念なところが物販で売られていたポストカードが3Dではなかったことです。

2015-03-17 | カテゴリー 日記 | タグ

関連コンテンツ

スポンサーリンク