ウインター、モーニング 〜冬の朝〜
早朝の布団への愛が日を追うごとに強まります。いつも一緒にいるはずなのに、それでも離さずにいられない。特に朝は。そういう季節になりました。冬の朝のきんとした空気は好きですが、東京だとそこまでというわけでもないので寒いだけ損です。それでも、朝、やかんを加湿器がわりに湯気なんかをもうもうとさせていると、冬だねぇと思います。ウチのやかんは南部鉄瓶のです。なんでも、それで沸かしたお湯はいわゆる白湯というやつで、鉄分も含まれていて栄養があり、体の芯から温まるからぜひ買え、というものらしいです。お湯を沸かすごとに鉄分がにじみ出たらいずれ鉄瓶から鉄分はなくなってしまうんじゃないかという疑問は浮かばずにはいられませんが、この世にはプラセボというやつもあり、たとえ南部鉄瓶で沸かした白湯に鉄分が入っていようが入っていまいがこれを飲むことでああ、俺様は健康だ、体によいことをしている、とさえ思えたらそれのほうが鉄分よりも栄養価が高いのかもしれません。ちなみに、プラセボをプラセボだから効くだろう、と思って摂取するとプラセボ効果はあるのでしょうか。いわば、メタプラセボとでもいいましょうか。大学時代に心理学を学んだ頃からの疑問です。
この南部鉄瓶というもの、使い終わった後は水分を完全に蒸発させないと錆びてしまったり、鉄なので重かったりとなかなか不便なところもありますが、手がかかる分、大事に使えます。なんでも便利なほうへ進んできた現代文明ですが、手間、という美学を我々は忘れつつあるのではないでしょうか。モノに便利さしか残らなければ、それはコンビニのマニュアル接客と同じです。カメラでも、ハッセルブラッドの昔のカメラなんかは「お作法」という通称で撮影前に色々と設定を行う必要がありました。一歩間違えると壊れる、という何ともマゾヒスティックなカメラだったりしますが、それが愛好家の間ではよしとされていました、多分。手間というののはある意味では儀式的な、精神的な行為なのかもしれません。
どうでもよいことですが、湯気の写真を撮り終わって眺めてて、なんかに似ているなあと思って見ていたら、階調がレントゲンみたいだと気付きました。あっ、こんなところに影が!と思って湯気をみるのも一興です。
冬の朝は多肉にあたる光もよいです。ところで、11月いっぱいで展示「なぞときブックフェア」が終わりました。なぞを解いた際にプレゼントされる景品として僕はポストカードを置かせていただきましたが、おかげさまで全てなくなりました。他の展示の皆様の景品も全部なくなったとのことで、大盛況のようでした。他のが欲しかったのにあいにく僕のポストカードしか残ってなく、仕方なくもらって行ってくださった方もいるかと存じる所ですが、今後も外に出て行く作品を作り続けていく所存ですから、何卒宜しくお願い申し上げます。
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