ラッセンとはオレにとってなんだったのか

October_05__2013_at_1132PM (1)

今年は(去年から?)ラッセンが流行っているらしい。そんなわけで、読書感想文的なものも含めた記事です。

ラッセンが好きか嫌いか、それで個人の趣味思想にある境界線がひけるんじゃないかと思っています。その辺りは前述のリンクの本が詳しいし、そこに何か差し挟むつもりもないくらい面白く感じたので、ここは無駄に引っ張る話題じゃないかと思っています。ここでは僕とラッセンについてを話す場所かなと思っています。

僕の子供の頃、物心ついたときにラッセンはすごく身近な存在だったと今は思えます。それは、例えば、ジャスコの玩具売り場のジグソーパズル売り場で。子供心にそれは多分、ひとつのジャンルとして認識されていたとは思うのですが、僕が興味をもっていたのはそれよりはより二次元的なもの、つまり、ガンダムとか、スーパーファミコンでした。それから10年以上。大学時代はおろか、専門学校時代でさえラッセンのラの字さえ意識されたことはなかったように思えます。当時、ラと言えば学生の身にはラーメンが最有力脳内変換候補でした(割と今でもそうですけど)。その頃はラッセンの絵と言えば、既に理想主義的なインチキくさい絵という認識だったでしょう(当時の自分は意識すらしてなかったのですが)。そういえば、渋谷のロフトあたりで客引きしてたなあ、そんなくらいです。 それでも、あの奇妙な理想主義的な画面を描いた作者は誰か、と聞かれれば誰が描いた絵かはわかる、ということはまぎれもない事実でした(別に聞かれなかったけど)。

そんな僕が上リンクの本を面白いと思い読みまして、ラッセンについて振り返ってみたのです。が、上記の経験以上のことは思い出せませんでした。そういえば、僕はJリーグのパズルは買ったけども、ラッセンのパズルは買ってない、この人生で、ラッセンに一円も支払っていない、のにこの本を読んだ!というのが素直な感想です。それでも、ラッセンの絵はラッセンとわかる。文学的に表現するならば、僕は僕の中のラッセンを供養したい気持ちになったのです。

上リンクで紹介したリンクの本ではラッセンの複製性についても話題の一部でした。その商法という点では問題かもしれませんが、単に複製、という点ではキース・へリングもファインアートに分類されながらも有名で、ポスターどころかTシャツにもなっていますし、ロスコ、カルダー、ポロックあたりのポスターも身近に買うことができます。若干ニッチですが、僕は学生の頃、ファイニンガーの「空の鳥」(下部リンク参照)が欲しくて海外から購入しました(まだWindowsXPでダイヤルアップなんかを使ってた頃です)。今やアーティストの複製などはそれが版画か印刷か、限定か否かは別として、簡単に手に入る時代です。まして写真なんかはいわんをや。

そんなわけで、そういえば秋葉原でもそういう販売してたなあ、と思って何かを買いにいくついでに駅前のキャッチに釣られてきました。いつもはティッシュですら避ける僕ですが、正面からチラシの渡しやすい位置に突っ込みました。営業している法人の関連よりも室内に飾る絵画のシルクスクリーンを高額で売っていること自体が今回の対象です。実際のその辺りは僕の与り知らぬところですし。結局、上のポストカード(一応3D)とSuicaやPASMOに貼れるステッカー(これも何故か3D)を1000円で買ってきました。買い物の経緯はiPhoneで録音してみたのですが、聞いてて切なくなったのでアップはやめておきます(自分の声を聞きたくないとかではないですので聞きたい人は個人的に連絡ください、きっと楽しめます)。売り子さんの1円でも売りたい気持ちがとにかく伝わってきます。そういう商法なのかもしれませんが。

ここまで書いてきてなんですが、一番上の写真の絵はラッセンではないです。別の人の絵らしいのですが、ラッセンとそっくりでした。ラッセンが描いたと言っても疑いのない画風です。ただ、ラッセンのほうがまだ絵としてパワーがあるかなというくらい(そういえば、ヒロ・ヤマガタ風な絵もあったのですが、それも模倣なのでしょうか。いずれにせよ、個人的な体験ではヒロ・ヤマガタはラッセンほどに僕の人生にほとんど関与していないのです)。他にも数種類絵画があったのですが、僕にはよくわからん絵画でした。さて、上の写真の絵。ラッセンによくある(ラッセン以前から?)水中と水上と画面をきっぱりと2分割して世界を構成した絵です。水中はまさにラッセンの世界と見違うくらいの濃密な空間が広がっているのに対し、水上はスカスカです。対比というにはあまりにお粗末な、素人の写真のような構図です(そういえば、録音の中で僕は写実的な絵は好きじゃない、といいながら結局このラッセン風を購入してます)。故に、最初のリンクの本にあったようにラッセンが現代アートの文脈で評価されることはないんじゃか、と僕は思っています。絵としてのパワーはともかくとして(ラッセンの原画など見たことはないですが)、画風がここまで似せられるのは引導を渡されたと同じ。しかも、現代アートの文脈にいない名のないアーティストによって。

むしろ、本の中にあったテキストのように、問題とされうるのはラッセンの作品そのものではなくて、ラッセンを意図的(あるいは僕のように無意識的に)に無視してきた現代アートの文脈ではないのか、ということだと思うのです。通常、アートの評論本においてはカラーの図版があってもおかしくないところ、カラーがないどころかページ下に小さく引用としてしか参照されていない図からも導きだされる結論です。そしてこの話題はこの本の出現によって、さほど長い寿命を持たないような予感するのです。それと同時に、僕は僕のラッセンを引導を渡したく思い、ラッセンの贋作に近いものを買いました(買わされたのかもしれませんがそれは追求するな)。ぜひ、皆さんのこれまでの人生におけるラッセンを聞かせてください。ちょっとふざけながら、酒の席ででも、話し合いましょう。

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僕が入った(誘われた)ギャラリーは、ラッセンの絵画はひとつもありませんでした。上記のラッセン風はあったにせよ。ライセンスがとれず、売れそうなラッセン風(というにはあまりにもよく似た絵画!)を用意したのかは不明ですが、言われなければラッセンではないとはわかりませんでした。しかも、こちらから聞かなければ作者が誰であるなどとは答えてくれませんでした。僕の突っ込み方が中途半端だったのか、高額なシルクスクリーンはどう売ってるのかはわかりませんでしたが、なぜか個人情報が丸出しの購入者リスト(?)がレジの上に置いてありました。店内で売ってあるものはポスター(1万円くらい?)の他、3Dポストカード(1000円)、Suicaステッカー(800円)、メガネクロス(このあたりが秋葉原っぽい!800円)だったかと思います。会話の選択肢次第ではシルクスクリーン購入ルートがあったのかもしれません。商法に上手く乗せられたのかもしれませんが、上の3DポストカードとSuicaステッカーを2枚セットで1000円で売ってもらいました!(美術館なんかだとポストカードは105〜315円くらいですけど、そこは3Dだからということにしましょう!)

2013-10-06 | カテゴリー 考えごと | タグ