2020東京オリンピックエンブレムの問題について(辛口)

単刀直入に。インターネットの皆さんもひどいですが、僕は文部科学省がこれまで日本の美術教育をおろそかにしてきたツケが回ってきたのかな、と考えています。文部科学省は猛省してください。エンブレムが例のベルギーのを盗作したように見えてしまうのは叩いている人の、デザインに対する教養の無さを示しています。でも、大丈夫、叩いている人だって本当はそんな悪くないのです。文部科学省の美術教育が悪かったのです。インターネット上で目にする、悪意の塊のような中傷コメントを残している人の思考停止具合も相当ですけどね。別に僕は佐野氏を擁護しようという魂胆ではないです。あいにく、僕はグラフィックデザインはあまり成績がよくないので、発表された当時のエンブレムの感想も特にありませんでした。ただ、こう悪評ばかりが蔓延すると自分とはほぼ無関係でもいい気分ではないですね。あと、ひどいコメントばかりしている人は佐野佐野なんて呼び捨てにしないで、さんをつけろよデコ助野郎。というわけで今回の目的はインターネットで佐野氏を叩いている人を叩くことです。辛辣に。

まず、大してデザインにも詳しくないのにあのエンブレムを盗作と決めつけ、決して自らのその考えを疑おうともしない彼らの強靭な意志には恐れ入ります。何が彼らをそこまで増長させるのでしょうか、謎です。そういったインターネット上だけに見られる不思議な態度に関しては今回の問題に限らないと思うのであまり深入りしないでおきますが、そもそもデザインの盗作疑惑を語るのに、デザインの言葉を以って語らないというのは何様のつもりですか。芸術家気取りの芸能人もチラホラコメントしているようですが、同類です。哲学の評論を行うのにその歴史と背景を知らずして語るようなものです。田舎のヤンキー口調で「マジデカルトやばいよね」「つーかあいつ、まじやべー」と言っているのとほとんど変わりません。デザインにも共通言語や手法論があるのです。それを知らないくせに語るな、というつもりはありませんが、知らないなりに興味あるなら勉強するなり、裁判の判例を調べたりするべきで、さも自分たち以外の考えは一切正しくないかのように振る舞うのは間抜けですよ、と恐れ多くもご忠告差し上げたいのでございます。しっかりと調査し、熟考した上で意見を述べるのがよろしいかと存じます。実際のところ、彼らが使う言葉はほとんど同じです。デザインを批評するための視点も、ボキャブラリーにも欠けているからです。せめて語彙力があれば同じことを語るにしても異なった単語が出てくるはずなんです。そもそも、彼らは語ってすらおらず、ただ吠えているだけのようなものなので、言葉を知らないという意味では赤子と全く変わりません。

なぜデザインを語る上でデザインの教養が大事なのかと言うと、そのほうが視野が広がって自由にデザインを見ることができるからです。デザインの視点からでしかデザインを見られなくなるという反論があるかもしれませんが、逆です。デザインの基礎は観察です。例えるなら、哺乳類と魚類の概念がわからない人がクジラとサメの違いがわからないようなものです。反対に、哺乳類の概念がわかっている人はヒトとクジラが同じ種だとわかる。また、その方面にあまり詳しくない人は両生類とは虫類におけるイモリとヤモリの違いがわかりませんが、オリンピックのロゴデザインもそのようなきらいがあります。だから、「デザイナーはみんな擁護するけど…」なんてコメントも見られるのです。なぜデザイナーは擁護するのか、理由があるのかもしれない、と疑いもしないのですね。デザインをわかっている人には佐野氏のデザインしたオリンピックのロゴが例のベルギーのロゴの盗作とは到底思えないのです。

次に、このドタバタに便乗して自分だったらこうするぜ案を出している日本の美徳の謙虚さはどこいったデザインを叩こうと思います。こちらのリンクにタイミングよくツイッターに挙げられている学芸会レベルのロゴが並んでいますが、全然ダメですね。みんなどこかで見たような、どこにでもありふれたデザインです。盗作と騒いで便乗しているのに自分が盗作まがいのデザインしては元も子もないでしょうが。自信満々なツイートも中にはあるので、もうそういう低レベルのを見ると叩きたくて叩きたくてしょうがない低レベルの僕です。せっかくなので、デザイン的にどこがダメか、一つ例をだして叩きますね。一般受けはよさそうで、かつ、リンクの中では話題になっていた扇のスペインのやつにします。

  • 扇の真ん中の白の余白が気持ち悪い。つまり、美しくない。形といい、サイズといい、単に余ったスペースというだけで、考えられた余白でないのが見てわかる。そんなのがしかも図の真ん中にある。
  • 赤が強い彩度で面積も広く、目に痛い。
  • 図の部分に比べてテキスト部分が狭く、販促物に使いづらいバランス。

グラフィックデザインが苦手な僕でもぱっと見でこれくらいの意見はでます。あとは、このデザインの扇に限らずですが、桜やら富士山やら、赤い円やら、いわゆる「ニッポン」なイメージを使うのはアイデアとして陳腐です。日本人の多くが日常的に扇を使っている文化ならまだしも、そんな日本は頭の中にしかありません。どんだけ脳内お花畑ですか、もっと現実見ましょうよ、ありふれたデザインではなく、もっと他の人ができない個性的なデザインを考えてくださいよ。そもそも、扇なんて日本独自の文化でもないじゃないですか。お隣韓国も、中国も扇はありますし、むしろ大陸文化を考えたら起源はあちらじゃないんですかね。僕の日本史なんて高校レベルなので、そんな詳しくないですけど。それと、エンブレムはいろんなところでプリントされて使われることも考えてくださいね。主張しすぎなデザインが多すぎです。これらが大量にネットに溢れることで、かえって佐野氏のデザインのオリジナリティが目立つという皮肉になっています。さらに、素人が遊び半分で作るならともかく、デザイナーが自分だったらこうする、をやってしまうのってどうなんですかね。しかも、より低レベルのものを。よほど自惚れているか、あるいは売名行為か、どちらかにしか思えません。別に売名行為が悪いとは思わないんですけどね、言い換えれば営業ですから。単に僕が個人的にその精神が気に食わないというだけです。その上で、どんな意図があって普段からしているわけではない「自分だったらこんなデザインをする」をネットにアップしたのか、ぜひともその気持ちを理解できない僕にご教授いただきたいところです。
ちょっと話はそれますが、このオリンピックロゴ、自分だったらどうする、というのは学生の課題にはよいかもしれませんね。しかも、デザインを学び始めたばかりの学生なら。本気で取り組めば取り組むほどデザインの奥深さがわかる良課題になるのではないでしょうか。言い換えればネットにあがってるのもせいぜいその程度ですよ、ということなんですが。そんなことを考えていると、ネットでほぼ最初に自分だったらこうする、を発表したデザイナーのコメントがありました。その一部引用しますと

1つは、「皆さんは、こういうのが好きなんでしょ」という、世論に向けたもの。もう1つは、どこか権威的に見え、逆三角形の不安定なフォルムで見る人に緊張感を与える、佐野氏のエンブレムに対してだったという。

世論の皆さん、皮肉ですよ皮肉。もう一つに関してはなるほど、そういう分析もあるのか、と感じました。単に逆三角形というだけなら世の中にそういうロゴはありふれているので僕はそうは思わないのですが。プロがいうのですから、そういう要素があるのかもしれませんね。ただ、このデザイナーの主張であるもっとコンペの窓口を広げるべきだ、という意見は一考の余地ありです。本題とはそれるので僕の意見を簡単に述べる程度にしておきますが、コンペの審査もタダではないですし、審査員の好みが無意識的に反映されることもありうるものです。審査員が常に正しいとは限らないのがコンペ。審査員も不安です。無駄な予算を使わないためと、応募作のレベルの底上げをするためにもある程度の参加条件は必要なのかな、と考えます。それが今回、適切だったかどうかは判断しかねますが。そういえば、新国立のコンペも高レベルの参加条件でしたね。

今回のネットの騒動での唯一の成果(?)は佐野氏が取り下げたサントリーのトートバッグくらいでしょうか。よく見つけたな、とインターネットの人たちに恐れをなしたいです(僕なら相応のギャラをいただかないことにはやれないです)。あれは言い逃れのないようなトレースでした。そして、佐野氏が発言した、スタッフがデザインした、というのもおそらく事実でしょう。ほんの僅かながらデザインの世界を知る身としては以下のようなやり取りだったんじゃないかと推測します。

  1. サントリーのデザインを担当することになったスタッフ1〜数名(美大やデザイン系の学校を卒業後、独立するまでの見習い)に、「明日までに50案考えてきて」と佐野氏が指示。
  2. スタッフの中に著作権関連に疎い、感覚が鈍いスタッフがいて、魔が差した。もしくは、締め切りに間に合わず、数合わせでトレースを行った。
  3. 大量に出されたデザイン案から佐野氏が「これいいじゃん」とピックアップ。スタッフはその場にいなかった、もしくはトレースと告白するタイミングを逃した。
  4. デザインが公になった。

上記はあくまで個人的な推測です。ですが、佐野氏が何十案もひとりでデザインをするとはちょっと仕事量からは思えないですし、当たらずも遠からずという感じじゃないかと思います。重ね重ねですが、あくまで推測です。ですが、「嘘つけ、スタッフのせいにするな」という根拠のないネットのレッテル貼りよりは信ぴょう性が高いのではないでしょうか。だから、この場合あくまで佐野氏に問題があるとすれば監修の力量、トレースを問題と思わない人を雇ってしまった人事力だと思います。後者はなかなか見抜くのが難しいですね、インターネットの皆さんの力でも借りなければ。

さて、推敲と情報収集をしていたらこの記事書くのにも数日がかりになってしまったわけですが、本日、修正前の原案と似ていたというデザインが見つかったことがニュースになっていました。これについて、もともと叩いていた人は「やはりパクリだ」とあくまで自分の姿勢を貫く勇敢な態度を示しているようです。でも、順番逆ですよね。初期案をデザインした結果、類似したデザイン(リンク先のデザインがそれであったかどうかは別として)が見つかったので変更し、今のデザインに変更した、という流れが大会組織委員会の説明です。佐野氏が見た=盗作した、というのは考えが安直すぎませんかね。どうあっても自分の都合良い方向にしか解釈しない(できない?)のはいかがなものかと思います。そういう人たちはたとえの一つですが、こののちに裁判になって、仮に著作権侵害が否定されたとしても「裁判官が金をもらった」などの陰謀論をインターネットに書くでしょうから、インターネットで僕がどうこう言ってもそもそもどうしようもないのかもしれません。そもそもが擁護する人に対しても陰謀論的に利権だどうだと言うような人たちですからね。僕は全く利害関係ないですし、最初に述べたように擁護ではなく、佐野氏を叩いている人を叩くのが目的です。それと、忘れがちですが、文部科学省はデザイン、美術教育の質の低さを反省しろ、ということでした。

最後に、今回の流れで僕が感じたことをひとつ。「もうあんなエンブレム価値がない」や「どちらにせよこんな問題になったのだから取り下げるべきだ」という声がちらほら見かけられます。いったい、デザインの価値って誰が決めるんでしょうね。選挙ではないのだから、一人一票の原則は当てはまらないでしょう(その一票ですら格差が生じてますが)。では、プロのデザイナーの世界がそれを決めるのでしょうか。また、デザインの価値はどうやって決まるのでしょうか。これまでデザインに限らず、美術、文化などは時間が経つにつれてその価値が歴史の中で同定されてきました。今、そしてこれからの時代も同じ方法で価値は決まっていくのでしょうか。このことは、ぜひともデザインに明るくない皆さんにこそちょっとでも考えていただきたいなと思いますよ。僕も今回の問題を通して昼飯の時間や電車乗っている時間に考えています。

おむつ

ここまで僕なりにじっくりと書いてきたのですが、それでもワンセンテンスでしか反論できないような輩がもしいるならば、既に性格がひねくれ始めてる娘の放屁でもくらって、その豆腐のようにシワのないまっさらな脳みそに少しでも刺激を与えられてください。お願いしましたよ。

2015-08-25 | カテゴリー 考えごと | タグ