Lucky Blooming
今年は桜をよく撮りました。フィルムで撮影したものも中にはあって、スキャナでとりこんだときはよしと思わなくても暗室作業で評価が変わったものもあります。コンタクトはスキャナで代替しようと思っていたのですが、変わりになる訳でもないようです。撮影したときのトーンに想像力は引っ張られがちですが、暗室なり明室なり、その後の処理でぐっと印象の変わる写真は少なくない。そう思うと、これまで撮ってきて選ばれなかった写真の中にもよいものはあったのかもなあ、と否応にも感じてしまいます。
しかし、スキャンしたものをデジタル作業で暗室作業の結果に近づけるのはすごく楽で、これはフィルムが衰退するなぁ、ってひしひしと実感します。暗室は暗室でよい時間と空間なのですが、それをそれ自体で楽しむとして、むしろデジタル写真を本気、フィルム写真を趣味として、という道楽すらありえそうです。
一方で、フィルムはネガ→プリント(鑑賞)と直接の出力がありますが、デジタルは現像(レタッチ)→モニターで鑑賞→プリントとより段階的な気がします。そのせいか、モニターで完結してプリントまで至らない、というのは残念なことのようにも感じます。紙ではなくデータ、という空虚的な形式で残っているデジタル写真特有の哀愁は否定できませんが。
フィルムとデジタル写真は別物、という感覚で取り扱うには両者はあまりにも近すぎる。道具としてのカメラの形状が似ているのが滑稽なくらいに。
ところで、今頃桜の写真の話題になるくらいタイムラグがあるのもフィルムも魅力ですね。タイムラグという点ばかりはデジタルはすでにフィルムを追い越しているのでどうしようもない。デジタルカメラは画質、機能的にはもう充分ですので、これからは底上げの時期だ、と個人的に感じています。たとえばローライ35のような。
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