センチメンタルになれない俺

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祖父が亡くなりました。88歳でした。葬儀やらの諸々で、7月下旬はほとんど実家にいました。何を言ってるのかわかんねーと思うが、僕の祖父は父でもあるのです。もともと僕は片親で母方で育っているのですが、小学生のときに、母親が再婚して家を出ました。夜勤もある不定期な働き方をしていた母に代わり、それまで寝るのも祖父母と一緒だった僕は母についていくことなく、祖父に養子に入ったのです。覚えてはいないのですが、当時の僕は養子縁組なんて制度は知らなかったはずですし、仮に知っていたとしても祖父に養子に入るなんてアクロバティックなライフハックは小学生の脳では思いつくはずもありません。なので、養子は僕の意思ではなかったのです。しかし、後々の人生を考えると、まあ、それはそれでよかったのかもしれません。そのときから、祖父は戸籍上の父親になりました。以降、祖父(父)と書くことにします。ところで祖父(父)の息子になった僕は、当然ながら戸籍上、母とは姉弟の関係になっています。俺の母が俺の姉というなんともラノベみたいな状況ですが、当事者からすれば萌えるわけもなく。以降、母(姉)と書くことにします。

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7月は3連休にまず帰省しました。その週の頭に祖母(母)から祖父(父)が肺炎で今月頭から入院しており、最近具合が悪くなったので帰ってこいという連絡が入ったのでした。近年、脳梗塞などで入退院を繰り返していた祖父(父)ですが、このときはもはや言葉も聞き取れないほどでした。結果的に、それが最後の面会でした。母(姉)は「とんぼ帰りになるかもねー」なんて軽く言っていたのですが、翌週、臨終を電話で告げてくれたときは涙声だったので、大人ってずるいなあと思いました。

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僕が祖父(父)によくなついていたことに加え、祖父(父)が定年後は町中の小学校で用務員をしていたこともあって、小中学校あたりの級友は祖父(父)のこともよく知っていたのではないかと思います。中学校に入ると祖父(父)にちなんだアダ名が僕につきました。高校生になってそれは落ち着きましたが、なぜか大学卒業し、専門学校に入ったところで復活しました。

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先週の帰省では朝一番の飛行機で羽田を発ち、通夜、葬儀から、盆がもう近いから、という理由で四十九日まで同時に行い、納骨まで済ませてきました。その後も香奠返しまで手配してきたのでほとんどゆっくりする間もなく、つかれました。東京にいる長男(僕)ができない分、地元の伯母(姉)と母(姉)がいろいろと手配してくれていたとはいえ、寝不足で感傷的になる暇もありませんでした。合間に娘を海水浴場に連れて行けたことがよかったです。ど田舎の地域の風習の根強さを感じ、初めて会う祖父(父)の兄弟(伯父)を見て似てるなあと思い、葬式仏教の坊主がおもしろおかしく見えてしまうくらいせわしなかったおかげで、涙を流すこともなく一夜漬けの弔辞を読むことができました。僕は田舎の人間関係は向いてない、と確信をもって東京に帰ってくることができました。

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唯一のセンチメンタルがポケモンGOです。祖父の命日はポケモンGOのリリース日だったのですが、帰省中にポケストップもまったくない実家でぽちぽちやってたらCP10のゴースが出てきました。しかも、僕にだけ。これは祖父(父)だろう、と父親ちがいの妹(従姉妹)と話してきました。その他、ストライクなど、東京ではとれなかったポケモンが色々とゲットできたのでよかったです。このまま図鑑を埋めてポケモン図鑑を完成させて、海賊王に俺はなります!

2016-08-02 | カテゴリー 日記 | タグ

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