アラーキーとモデルKaoRi.さんの件で僕も考えた

大御所写真家、荒木経惟氏のモデルを長年つとめたKaoRi.さんの告発文が話題になっています。僕も写真を撮る者として無関係には思えないところもあり、ここ数日悶々と考えていました。自分の考えたことを僕のような無名のカメラマンがブログに書く価値がない、自らの思考が成熟していない、という理由で書くことを放棄すればそれは多くのハラスメント被害者が沈黙を続けるのと理由は別として性質的に重なる部分もあり、それはよくないだろうとキーボードとマウスをとります。

はじめに -権利についての正しい知識を-

KaoRi.さんの告発文はnote.というサービスを通して発表されています。リンクはこちら。読む価値が大いにありますし、それなしにここから先の僕のテキストを読むのも無意味かと思います。情報社会の原則、一次情報にあたれ、です。

ここでKaoRi.さんは投稿の末尾に

このページに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載、引用を禁じます。
©2018 sakuramochi office All rights reserved.

https://note.mu/kaori_la_danse/n/nb0b7c2a59b65より

と記載しています。無断転載の禁止はわかるのですが、引用禁止については、ちょっと…と思ってしまいます。引用は正当な権利であって、引用禁止はそもそも法的に無効という見方も強いです。

第32条の引用や第42条の裁判手続き等における複製の規定についても、これらをオーバーライドするあらゆる契約が一切無効であるとまでは言えず、この意味で強行規定ではないと考えられる。ただし、各権利制限規定が設けられている根拠には必要性や公益性という点で濃淡があり、これらは公益性の観点からの要請が大きいことから、オーバーライドする契約が有効と認められるケースは限定的であると考えられる。

文化審議会著作権分科会法制問題小委員会 契約・利用ワーキングチーム検討結果報告 平成18年7月 

議論、考察のために引用は必須ですし、研究論文では引用なしには論文が成り立たないほどです。著作権と引用に関しては個人的に色々と思うところがあるのですが、ここでそれに触れるのは無意味ですのでこれ以上は省略し、僕としては上記法的解釈に則り、無断で申し訳ないのですが本文中で該当の投稿を引用をさせていただこうと思います。

次に、 All rights reserved.と記載がありますが、投稿中に掲載されている写真ってアラーキーが撮影した写真じゃないの、という疑問です。アラーキーに著作権がある写真を盗用している可能性があると思うのですが。。。仮に自由に使っていいよ、という約束があったとしてもそれが権利の譲渡とは違うので…KaoRi.さんにあるのはあくまで肖像権ですよね。投稿の本文の意義とはかけ離れる指摘になるのでこの辺にしておこうと思いますが、その知識が本当に正しいかどうかと問うのであれば法的知識などの自らの周辺もしっかり固めとくべき、というツッコミでした。

さて、前置きはここまで。こういった混み合っている問題はそれを1つずつ分解してそれぞれ考えるのが最適です。実際はそれらの問題が絡み合ってのことなのでしょうが、そのような総合的な問題の捉え方はもはや当事者にしかできないので、第三者たる僕がそうすることは避けます。その上で、僕がnote.の投稿を読む限りにおいて捉えた問題は次の通りです。

  1. パワハラとセクハラ
  2. 写真と対価

1つずつ考えていきたいと思います

ハラスメントについて

投稿中にはその単語がないですが、これははっきりとパワハラ、あるいはセクハラに値すると思います。投稿中に#metooと自身の関わりについて言及していることからも、そう言えるでしょう。どんな立場であっても、巨匠でも上司でも、ハラスメントは絶対やってはいけないこと。#metoo運動が盛んだったことからも明らかですが、男尊女卑な旧態依然とした社会は現代の価値観ではないですよね。

いまの時代、自分の非を認めて謝ることは、カッコ悪いことではないのです。居心地の良さに感けて、若さや新しさを拒まないでください。

https://note.mu/kaori_la_danse/n/nb0b7c2a59b65より

この場合に限らず、僕の実感ですが、ハラスメント当事者は自分が加害者という意識はないのだと思います。いやだ、と言われてもその言葉だけ耳から耳へ抜けていっているのでしょう(あくまで個人的な実感です)。もしかしたら実感ないだけで僕もハラスメント加害者かもしれません。しかし、大事なのは指摘された時に素直にそれを認められることだと思います、綺麗事のようですが。

彼はその長い経歴、特に奥様を撮影し続けた経験から、年齢を重ねる中で生じる女性の心情の変化「もう撮られたくない。これ以上公に晒されたくない。」という気持ちを知っていたはずです。

https://note.mu/kaori_la_danse/n/nb0b7c2a59b65より

僕は荒木経惟氏のことは全く知らないけども、多分、知らなかったんじゃないかなぁと思います。

一方で、16年間もいて、いつでも離れられたのに、というKaoRi.さんへの批判もあるようです(出典不明)。しかし、これはハラスメント当事者にとってはまったく当たらない問題です。僕も程度の差はあれ、多少なりともそういった事例を知っているからこそ言えるのですが、ハラスメントの加害者は飴と鞭を本当にうまく使います。そして、被害者の、もしかしたら、あるいは、という心理を突いてくるのです。最初はそういう人なんだな、と思っていても、自分でも気づかない間に重いストレスになっていることもあるのです。

もう離れたいという思いと、発言権がないのだから離れても状況は改善されるはずがないという思いに挟まれて、最後までミューズを務めるしかないんだと思い込みました。一方で、一度信じた人を最後まで信じてみたいという気持ちもありました。

https://note.mu/kaori_la_danse/n/nb0b7c2a59b65より

写真と対価について

撮影は、報酬を得ていたこともありましたが、パフォーマンスなど、無報酬のことも多々ありました。

https://note.mu/kaori_la_danse/n/nb0b7c2a59b65より

こういう話については僕は無頓着でした。通常、というか僕が撮る場合、モデルとは基本的にお互いノーギャラのことはよくあります。というのも、カメラマンとしても自分の作品になるし、モデルも宣材(宣伝材料写真)としての作品になるからです(ただし、宣材写真としてスタジオを使う場合はスタジオ代だけ負担してもらうことはありますが)。一般的に仕事としてモデルを撮影する場合、カメラマンとモデルの間には雑誌の出版社や広告代理店などが入り、カメラマンのギャラもモデルのギャラもそこから払われます。カメラマンとモデルだけの関係性で言えば、モデル撮影会のように撮影する側がお金を支払う場合もあるし、モデル側がプロフィール写真代としてカメラマンにお金を払う場合もあります。

ここで難しいのが写真集や展示で使用することだと思います。

私の名前で写真集が出版されても何もなく、

撮った写真は、事前の報告もなく、いつの間にか私の名前をタイトルにした写真集やDVDにもなり出版され、世界中で展示販売されてゆきました。

https://note.mu/kaori_la_danse/n/nb0b7c2a59b65より

上記のようなケースはさすがに酷いのでは、と思います。写真集や展示を行うときはモデルに事前に連絡すべきじゃないのでしょうかね。もっと言えば肖像権的にギャランティが法的にも発生しておかしくない事例だと思うのですが、どうでしょう。しかし、例えば1000枚の写真の中の1枚ですとか、20人の集合写真の中であまり深い知り合いではなく連絡先の不明な人がいる、撮影してから数十年経っているため連絡がつかない、などの微妙なケースもこういう場合はありうるわけです。今回の件とはそうした例は無関係にせよ、自分がそういうケースに合わないとは断言できないので、あまり考えなしのままではいられないな、と気づかされました。

もっとも、

それまで海外で一緒に活動したフォトグラファーたちは毎回、撮影同意書があり、後日撮影したものを見せてくれて何枚かのプリントをくれたり、出版する場合にもその度ごとに同意書や内容確認が求められていました。ロイヤリティーに関して記載があるものもありました。

https://note.mu/kaori_la_danse/n/nb0b7c2a59b65より

文書で約束を残すことは社会的にも大事です。しかし、文書で残していれば安心、とは言えないのもこの社会です。わかりやすくシンプルな契約書を作れば解釈に疑義が生じたり、文書になっていない不測の事態が発生した際に対応しきれなかったりします。

反対に、全てを網羅したような文書にしようとすると、保険の超細かい読みきれない文章やスマホアプリのインストール時の誰もが読み飛ばす超細かい文字列になったりします。特に法人の場合。そうなれば難しい単語を用いて、契約を自分の有利なものにしておこうとする不届きな輩も当然現れ、最終的に法律や契約に詳しい側が得する契約になってしまいかねません。もっと言えば、文書に残してあっても平気で無視する人もいますからね。

となると、それができればこの事件はないよ、と言われるかもしれませんが、お互いの良好な関係こそが一番の契約になるのですよね。僕は甘いのかもしれません。KaoRi.さんの告発は単にそれを世に出すということだけではなく、多くの人に深く考えるきっかけを与えるものだったと思います。話の中心からずれるので省きましたが、撮る側撮られる側の関係を著作権と肖像権の関係に置き換えても色々と考えることはあります。メディアを媒介することによっての関係の変化や改めての写真の暴力性、そうした問題にも触れられるはずでしたが、まだ自分の中でまとまった言葉になっていないこともあり、書きません。

最後に荒木経惟氏の写真の価値について一言。写真、というかアート全般は常々単体で評価されるものではなく、ステートメント含めての作品だと僕は思っています。しかし、今回の件があって僕の見方も変わったにも関わらず、荒木経惟氏の写真は相変わらずパワーに溢れてるんですよね。僕もそういう作品を撮りたいものです、もちろん、ハラスメントはしない方で。

2018-04-17 | カテゴリー 考えごと | タグ

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