シグマのカメラにグッドデザイン金賞の価値はあるだろうか

シグマの「sd Quattro2016年グッドデザイン賞金賞。おめでとうございます、ずばり、疑問です。言ってはなんですが、シグマのカメラは、特にレンズ交換式のカメラはメジャーではないです。スペックも尖っていて、先進的というよりはニッチな需要。センサーも使いこなすにはかなり難しい。バッテリーもあまり持たなく、発熱もなかなかのものらしいです。EVFもAFも今の世代のレベルではない、とのことです。最近のデジタルカメラにはついて当たり前の動画機能もありません。RAW現像に専用ソフトが必要です。その独特なセンサーゆえ、高感度耐性も昨今のデジタルカメラとしてはものすごく弱い。夜景で手持ち、などの現代的な撮影ができるカメラではありません。ただし、ハマったときの描写は群を抜いて鮮明、らしい。こういうのはカメラでは特別賞とかチャレンジで賞などがふさわしいのであって、金賞という王道の賞ではないのでは、と思います。どこが評価されたのか不思議です。審査評は以下のとおり。

カメラらしいクラシカルなデザインが主流となっているデジタルカメラの世界において、独自のFoveonセンサとデジタルカメラのデザインを根本から問い直し再定義した斬新なスタイルで新基軸を打ち出し高い評価を得ているSIGMA。本製品も「カメラらしい」ではなく「SIGMAらしい」と感じさせるオリジナリティを継承しつつ、レンズやアクセサリーなどとともに、同社の撮影システムの中核をなすカメラとして、細部にわたる完成度の高さが評価された。

一行目から疑問。「カメラらしいクラシカルなデザインが主流」ってどのカメラをさすんですかね。富士フィルムのカメラやNikon Df、オリンパスのPEN-Fあたりをさすのでしょうか。しかし、主流?でしょうか。カメラ、特に一眼レフのデザインは根本があまり変わってないので見た目的にグッドデザイン賞に値しないのかもしれませんが、むしろ形が進化してないからこそ評価されるべきなのではないかと思います。「根本から問い直し再定義した」とはデザイナーや建築家が好きそうな言葉ですが、意味はほとんどなく、ただの修辞です。「細部にわたる完成度の高さ」とは皮肉でしょうか。先ほど書いた通り、このカメラは使い勝手などを犠牲にして尖ったスペック得ています。ちょっと珍しい見た目をしているからって「斬新なスタイル」とポジティブに言い換え、先を見据えたデザインとして即受賞みたいなのはデザイン界の怠慢じゃないでしょうか。デザイン的に言えばフランジバックの長さを担保するためのマウント部分がうまく処理されていないように見えるんですけど、いかがなのでしょうか。審査員の方、フランジバックって単語、わかりますかね。もしかして、デザイン界ってこないだの火災の記者会見といい、腐ってるのでしょうか。根拠のない批判をさせてもらえば、そんなんだから一般的に「デザイン」て言葉が理解されず、こないだのTDWの件だって「外苑前で開催されていた「アート」イベント」なんて報道の仕方がされるのだと思います。

シグマのカメラではなくてデザイン界の批判になってしまいました。僕もシグマのカメラ自体に罪はないと思うので(むしろシグマは好きです、主にレンズとか)、ここで批判の矛先グッドデザイン賞に向けたいと思います。シグマのカメラにはグッドデザイン賞が無価値であることの説明のために犠牲になってもらったのです。

_dsc1872

 

近年、カメラ関係でグッドデザイン金賞を受賞したカメラ本体を調べてみました。今年のシグマの前に2015年、Nikonの「Coolpix p900」、2014年にシグマの「dp Quattro」(ちなみにこのときの審査員評でも「再定義」と言われています。再定義しすぎだろ。)、そしてソニーQX1シリーズ。QX1、なんだっけ?と思ってついググってしまって、なんか古傷をえぐってしまったような、聞かれたくない過去をうっかり尋ねてしまったような、申し訳ない気持ちになりました。スマホで撮るレンズスタイルカメラというやつですね。レンズしかないように見える、ユニークな見た目が特徴ですよ。もはや市場で見ないですし、後継機種の噂すらありませんね。かといって希少価値がついているわけでもない。Bluetooth接続のため、短距離でしか接続できず、その接続すら危ういとのレビューもあります。個人的にはあまりわかってない一部のガジェット好きに最初だけもてはやされてた印象です。おまけに似たようなコンセプトで後発のオリンパスAIRにその座を奪われた挙句、ソニー自体がオリンパスに協力しだします。悲惨な運命を辿ったこのカメラ、数十年後あたりのカメラ史で『当時はこんな珍品もありました』って紹介されるパターンですね。ソニー批判になってしまいました。

まあ、つまり、そういうのに金賞ってどういうことだよグッドデザイン賞。審査員、絶対に受賞したカメラ使ってないだろ、そもそも、審査の際にまともに使ってみたのか、ということすら怪しいです。使ってないでしょうね。カメラ界なり写真界の意見をヒアリングする機会ももたなかったと思います。グッドデザイン賞を与える全分野でそれをやったら時間と手間ばかりかかりますからね。デザイン界の意見だけでグッドデザイン賞を決めるのは合理的です。金賞ですらこの有様です。むしろ普通のグッドデザイン賞は玉石混交でしょう。消費者はグッドデザイン賞受賞した中から真のグッドデザインを探しだす必要があるわけです。いや、探さなくていいけど。

紆余曲折しつつグッドデザイン賞の批判に至りました。昔のグッドデザイン賞ってよかった記憶なんですけどね。醤油差しとか。グッドデザイン賞と言えば醤油差しです。今はそういう製品がないのか、それともグッドデザイン賞が組織化して澱んで腐ってしまったのか。それともただの懐古主義か。調べてみるとグッドデザイン賞だけなら今年だけで1200以上のデザインが受賞してます。10年で調べると11000。初めてみるものの方が多いです。つまり、何が言いたいかというと、こんなにポンポン受賞できる賞なんだから、通販サイトの商品紹介のページで「グッドデザイン賞受賞!!」って書いてても参考にすらならんよ、ということです。権威的に見えるだけです。むしろ、『なんだ、大賞や金賞とかとってないんだ、特別賞などですらない。ただのグッドデザイン賞か』と思うことにしましょうよ。多分、デザインの業界で仕事してる人は僕以上にそれを思ってることでしょう。むしろ、グッドデザイン賞に価値がない、ってのは当たり前すぎて何を今更って感じですかね。いや、すみません。実は僕、学生時代からグッドデザイン賞て価値ねえよな、って思ってました。

✳︎反対意見をまだ耳にしたことがないので『いや、グッドデザイン賞は価値があるんだぜ』って人は意見をください。当方、人の意見に流されやすい体質です。

2016-11-19 | カテゴリー 考えごと | タグ

関連コンテンツ

スポンサーリンク