子どもが想像力の宝庫だなんて

「子どもが想像力の宝庫」耳にタコだできるくらい聞きます。初めて言い出したのは誰でしょうかね。全く、罪深いと思います。子どもって何も知らないからそう見えるだけですよね、ってのが約2年半、娘を育てた感想です。戦争が始まって侵略されたら敵の兵士と一緒に酒を飲んでわかり合う、くらいに純真で何もわかってないのです、子どもという存在は。純真という言葉すら子どもには怪しいです。普通に嘘つきますからね、2歳のくせに。保育園で牛乳捨てて飲んだことにしてるらしいですからね。しかもそれがバレてないと思ってるらしいですからね。

先日、妻が3月末の早生まれの娘について、保育園の先生に「自分が一番小さくてかわいいのをわかっている」と言われてきたそうです。あえて言うならば、子どもは素直です。素直に嘘をつくし、素直に間違える。柳の木を幽霊と見間違えるがごとく、人生に疲れて日々の習慣から抜け出せない大人がそれを誤解して想像力豊かだ、なんて言ってしまうんでしょう。

常識が通じないのを想像力豊かだ、なんて大の大人に言ったら皮肉以外の何者でもありません。想像力って言われているほど自由ではないですよ。じゃあ想像力は何かと言うと、結局、これまでの積み重ねでしかないわけで。個人の経験や、その分野の歴史などを学ぶことなしに想像力というのは身につかないものだと思います。何もない状態からパッと生まれてはこないのです。宇宙の始まりじゃあるまいし。想像力の塊のような芸術、例えばピカソの絵画ですらそれまでの絵画の歴史がなければ生まれてこなかった芸術です。

とまあ、いろいろと思うことがあって溜まってたのを最近できた暇に吐き出しています。まあ、想像力がない、というのと子どもがかわいい、というのはまた別問題で。前述したあざとさを覚えるくらいに、僕が知らぬ間に利口になってきているんだなあと日々感じます。

2017-08-23 | カテゴリー 日記 | タグ